ショコラティエ
料理というものは、それだけでコミュニケーションになるものだ、となんとなく思っていて。
誰かのために何かをつくる、ということが、コミュニケーションにならないわけはないのだ。
つくっているときには、相手は目の前にはいないけれど、だって手紙を書くときだって、いや、紙を選ぶところからして、目の前に相手はいないじゃないか。
ときに、バレンタインデーです。
職場の若いお父さんは、娘からいずれチョコレートを もらえるのを楽しみにしているのだという。
そういえば俺の妹もいちおう、彼氏に作るのか何かのついでに、 父への分も作っていたなあ。腕前は俺の方が上だけれど、このときばかりは自粛。 いつもバレンタインが過ぎてから、やはり夜中にこっそり作っていた。
お菓子を作るようになると、道具が揃ってくる。
道具が揃ってくると、また作るのが楽しくなる。
初めてトリュフを作ったときなど、東急ハンズでトリュフスティックを、わくわくしながら手に取ったものだ。 その昔、限られた道具、限られた材料(どこで売っているのか知らなかった)で、お菓子を作ろうと、レシピ本を睨みつけていた頃は、新しい道具を手に入れてはレパートリーが広がって、胸をときめかせたものだ。
ときに、この時期の製菓材料売り場は、まさにバレンタイン色なわけで、ここに足を踏み入れるのには若干、勇気がいる。 俺のセクシャリティに誤解が生じるのではあるまいかと、気が気ではない。ま、誤解が生じようが生じまいが、結果は大差ない、という真実からは目を背けておこう。
そこにいる女の子たちの大半は無邪気にブラウニーなどを 作るつもりであろうが、彼女たちがきっとドン引きしてしまうであろう優雅なチョコレートケーキを俺は作るのである。
こんなことしていると女の子から手作りチョコなどもらえないのは 間違いない。ああ、間違いない。 そのせいに違いない。
いったいガトー・オペラというものは、まことにエレガントなお菓子であって、口の中で淡く柔らかく溶けるガナッシュとバタークリーム、 そしてシロップをたっぷり含んだビスキュイ生地が織りなすのは夢の境地。
これを作る手順というのが面倒の上に面倒を重ねるようなもので。そういう風に、手際よく作る、ということも料理の技術のうちであるかな、と。