30代男の食卓

作った料理、読んだ本

「黙って賛成」モデルの危機

このあいだ「へえ・・・」と思うことがありまして。

現場のヴェテラン社員の先輩が、ある人に、
「決めるのはお前たちが好きに決めろよ。
兵隊はよ、その通りやってやるからよ(キリッ)」と。

こういうのを美しいと思う価値観もあるようです。

僕は、言われたことをやるのは、まあ、
それが組織行動というものだとは思うけれど、
その意思決定に参画したいし、納得して動きたい。

ただ、件のヴェテランのような価値観は、
特に団塊世代的な美徳として、
今も息づいているのかもしれない。

そういう風に考えている人が実際いるし、
昔からある組織の中でノウハウ、
というか担当者マニュアルとして、
温存されていたりもするのではないか。

考えてみると、思い当たるフシがある。

選挙しかり、労働組合しかり、
場合によっては会社でもしかり。

人間関係を基盤にして、白紙委任
「黙って賛成してくれ」というのが、
構成員の合意を確立するための
方法として、 強く認識されている。

やろうとしているコトよりも、
やろうとしているヒトを売り込むというのも
ここには含まれるだろう。


誰かに何かを説明するのが重要視される場面というのは、
専ら仁義を切ったり、根回ししたりという場面に限られ、
皆に説明するときには、皆が賛成することが
決まっている状態にしておかなくてはいけない。
否決はあり得ない。(おお、よくある話だ)

どんな社会においてもこういうやり方の有効性は、
多かれ少なかれあると思うのだけれど、
特定の状態の社会では最も効率的かもしれない。
構成員が均質的な社会においては、
誰かが「みんな」(結果的にであれ)のことを考えて
決めてくれれば、自分のためになるはず。

その均質性は、高度経済成長期に比べて、
今では度合いが小さくなっているのではないか。

いや、均質性だけでもない。
2000年代までは、人口が増え続けていて、
(かつ構成員の均質性が高いのでなおさら)
そのせいで、そういう「黙って上意下達」方式が、
とてもやりやすかったし、理に適っていたはずだ。

決めるのはだいたい年長者であり、
年長者を受益者のターゲットとした意思決定をし、
(ということは、年長者が自分で決めてしまえばよい)
年少者にとってもこれを尊重することは、
いずれは自分の利益につながることであって、
かつ年少者は増え続けるので、継続性がある。

夢のような年功序列型賃金体系、社会保障制度は、
合理的ですらあったわけだ。蛇足。

ところが今の人口減少社会、多様化社会では、
そのやり方では利益分配がうまくいかない。
頭を使って、利害調整しなくてはいけない。

そういう比較的新しい状態に、個々人の価値観や
「組織」の仕組みが対応し切れていないのではないか。

今の若い人たちは、常に逆風ではあるけれども、
知恵を振り絞って立ち回らなくてはならない。


まあそんなわけで、かつての労働組合では
人の輪を作ることが最優先であって然るべき
だったわけだけれども、今は違うんでねえの、
ということです。
白紙委任が得られにくい以上、
黙って言うことを聞け、ではなく
マイノリティに配慮があることを示すこと。
(若者も女性もマイノリティです)
情報開示をして説明責任を果たすこと。

どちらについても、組織としてしっかりと行うことに、
そういえば、われわれは慣れていないんじゃないか。