高峰秀子 編「おいしいおはなし:台所のエッセイ集」
食べ物の本には、人生がぎっしり詰まっている。
人生がぎっしり詰まった内田洋子の「ジーノの家」にも入っていそうな話が一編。
池部良「天ぷらそば」
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蕎麦屋への注文を言いつける絵描きの父親は、「持ってくるのは娘さんにしておけ。葱をたくさんつけてくれるからな」と言い、母は「葱ならおやじさんに持ってきてもらいなさい。おやじさんの方が沢山よ」と言う。
まあ、父親は娘の顔が見たかっただけだ。届けに来た娘に、またきれいになったね、などと言い、母親が鋭い目つきを遣ったりしている。
父親はいつも海老のてんぷら蕎麦を食い、自分にはかけかもり。
ある日、独りで通りがかった蕎麦屋の店先で、その蕎麦屋のお姉さんに声をかけられる。「坊ちゃん、天ぷらそば、食べさせてもらえないんだろう?奢ってあげる」
店を出ると、耳の捻り上げる手。「痛ェ!」と見れば、銭湯帰りの母だった。母はそのまま納戸へ連れて行き言い募る。「お母さんはね、あんたをね、あんなそばやの売れ残りの娘なんかにご馳走してもらうような子に育てたつもりはないの。お母さんは、あなたを刺して、私も死にます。恥ですから」
櫃から黒鞘の脇差を掴み、がっちりと握って引く柄は、しかし鞘を離れない。錆びついていたのだ。「あんな、売れ残りの、」と息を荒げながら抜こうとするが、抜けない。
しまいに「今日は・・・許して・・・あげます」と、顔を覆った洗い髪を掻き上げて、荒い足音を立てて出て行った。
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とまあ、こんな話だ。
また、料理人、東西対決の場面。
西の親方が、東の親方(つきぢ田村の田村平次)に店へ招かれた。「大阪ではいつも瀬戸内のおいしい魚を召し上がっているのでしょう。だから今日はこれを用意しました」と運んできたのは秋刀魚の塩焼き。
料理人は、金の取れる料理を供するのが本旨。秋刀魚の塩焼きがどんなにうまくても、そんなものを普通、出すわけにはいかないのだが、そこは料理人同士ということで。そしてまた、秋の脂の乗った秋刀魚は、大阪まで行き着かないものなのだ。晩秋から冬にかけて、和歌山沖に来る頃には脂が落ちてしまっているから。
また、こんな言葉に出会う。沢村貞子のお弁当箱は、塗り物の大小いろとりどり。
「たっぷり大きいのや、ほんの虫おさえの小ぶりのものまで・・・」
虫おさえ、なんていう奥ゆかしい言葉は、滅多に聞くものではない。
宮尾登美子は、めんキチだそうだ。
「全めん類のなかで、そうめんほど季節感を伴ったものはない。やっぱり夏、めん類とくれば、そうめんにとどめをさす」
とどめをさす、だなんて粋な言葉を、俺も使ってみたい。
レストランや料亭に出てくるような、凝った料理を食べたり作ったりすることばかりのために、俺は料理が好きなわけじゃない。最近、心温まる料理を食べたか、箸を咥えてわくわくしたか、なんてことを考えているのです。