30代男の食卓

作った料理、読んだ本

「冬の犬」 アリステア・マクラウド

クラウドに早くノーベル賞をあげないと、じいさん死んでしまうよ!

と思っていたら、とうとう亡くなってしまいました。寡作の作家。

 

冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)

冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

 

(再読)
クラウドの描く人々は、土地に縛られ、連綿と続く血に縛られ、裕福でもなく、決して自由とはいえない。いまどきそんな生活を望む者はいない。

でもそこに生活の手応えがある。生活は自然と手の届く範囲にあり、世代を通じて蓄積されなければ得られないような、生活の知恵や伝説やが息づいて いる(だって、一人の人間が短い生の中で経験し得るものは、限られているのだから)。それが孤独な人の心を暖めている。ひとりの老人が呟くゲール語の一言 には、彼の父の、そのまた父の、一族のヴォイスが重なって響く。

そういう、僕らが手にし得ない貴重な財産に、どうしようもなく惹かれる。

「黙って賛成」モデルの危機

このあいだ「へえ・・・」と思うことがありまして。

現場のヴェテラン社員の先輩が、ある人に、
「決めるのはお前たちが好きに決めろよ。
兵隊はよ、その通りやってやるからよ(キリッ)」と。

こういうのを美しいと思う価値観もあるようです。

僕は、言われたことをやるのは、まあ、
それが組織行動というものだとは思うけれど、
その意思決定に参画したいし、納得して動きたい。

ただ、件のヴェテランのような価値観は、
特に団塊世代的な美徳として、
今も息づいているのかもしれない。

そういう風に考えている人が実際いるし、
昔からある組織の中でノウハウ、
というか担当者マニュアルとして、
温存されていたりもするのではないか。

考えてみると、思い当たるフシがある。

選挙しかり、労働組合しかり、
場合によっては会社でもしかり。

人間関係を基盤にして、白紙委任
「黙って賛成してくれ」というのが、
構成員の合意を確立するための
方法として、 強く認識されている。

やろうとしているコトよりも、
やろうとしているヒトを売り込むというのも
ここには含まれるだろう。


誰かに何かを説明するのが重要視される場面というのは、
専ら仁義を切ったり、根回ししたりという場面に限られ、
皆に説明するときには、皆が賛成することが
決まっている状態にしておかなくてはいけない。
否決はあり得ない。(おお、よくある話だ)

どんな社会においてもこういうやり方の有効性は、
多かれ少なかれあると思うのだけれど、
特定の状態の社会では最も効率的かもしれない。
構成員が均質的な社会においては、
誰かが「みんな」(結果的にであれ)のことを考えて
決めてくれれば、自分のためになるはず。

その均質性は、高度経済成長期に比べて、
今では度合いが小さくなっているのではないか。

いや、均質性だけでもない。
2000年代までは、人口が増え続けていて、
(かつ構成員の均質性が高いのでなおさら)
そのせいで、そういう「黙って上意下達」方式が、
とてもやりやすかったし、理に適っていたはずだ。

決めるのはだいたい年長者であり、
年長者を受益者のターゲットとした意思決定をし、
(ということは、年長者が自分で決めてしまえばよい)
年少者にとってもこれを尊重することは、
いずれは自分の利益につながることであって、
かつ年少者は増え続けるので、継続性がある。

夢のような年功序列型賃金体系、社会保障制度は、
合理的ですらあったわけだ。蛇足。

ところが今の人口減少社会、多様化社会では、
そのやり方では利益分配がうまくいかない。
頭を使って、利害調整しなくてはいけない。

そういう比較的新しい状態に、個々人の価値観や
「組織」の仕組みが対応し切れていないのではないか。

今の若い人たちは、常に逆風ではあるけれども、
知恵を振り絞って立ち回らなくてはならない。


まあそんなわけで、かつての労働組合では
人の輪を作ることが最優先であって然るべき
だったわけだけれども、今は違うんでねえの、
ということです。
白紙委任が得られにくい以上、
黙って言うことを聞け、ではなく
マイノリティに配慮があることを示すこと。
(若者も女性もマイノリティです)
情報開示をして説明責任を果たすこと。

どちらについても、組織としてしっかりと行うことに、
そういえば、われわれは慣れていないんじゃないか。

煮すぎない煮魚

ブリの切り身は、しょうゆとみりんとで漬け込んでおく。

しょうがの薄切りも一緒に。

十分に浸みてから、鍋でさっと煮ておしまい。

 

出来上がりの色が物足りない気がするのだけれど、

味は十分。ふっくらとした仕上がり。

 

こうした煮魚に合う日本酒は、けっして獺祭十四代

ではないと思うのだけれど如何に。

小説と同じで、流行りの、よく売れる本が良作とは限らない。

獺祭十四代では、エンタメ小説の賞である直木賞は獲れても、

芥川賞(まあ、無条件に納得のいく受賞作ばかりではないですが)

は獲れない。

 

で、どんな日本酒がいいかといえば、たとえば、

長谷川酒造「越後長岡京 特別本醸造」など。

 

獺祭十四代は料理に使う気にならないけど、

(カシスソーダを料理に使う気にならないのと一緒で)

料理に使えるような味わいの日本酒こそ、料理に合う。